「逢」

 元々は釈迦入滅時の仏典『遺教経』に曰く「世皆無常、会必有離」と。その後『法華経』に於いて「愛別離苦、是故会者定離」と説かれ、また中国の唐時代の詩人白居易の『白氏文集』には「合者離之始、楽兮憂所伏」と詠われている。これら全てに共通した概念は「此の世は無常で在るが為、出会った者同志は軈て必然的に別れる定に在る」と云う、東洋ならではの仏教思想に基づいた『無常観』である。
 仏教の根本としての『四苦』、乃ち『生』、『老』、『病』、『死』、その上に成立する別の四つの『愛別離苦』(愛しい人間と別れる苦)、『怨憎会苦』(憎む相手と会う苦)、『求不得苦』(求めても得られない苦)、『五取蘊苦=憂悲悩苦』(上記七つの苦に苛まれる苦)、それらを総括して『四苦八苦』と云う。
 殊に後者の四つの『苦』とは、生ある限り附随するところの人間関係を主軸に置いた『苦』であり、これらは、20世紀の西洋に成立したニーチェやサルトル、カミュ等の実存主義哲学での『存在論』や『共存』と、或いは、フロイト、ユング、ホ−ナイ等の臨床心理学の殊に病理学としても相通じるものがあり、単に「東洋的宗教表現としての言葉を用いた相違」と西洋の方々には解釈して頂ければ解り易いかとも思われる。
 平安期の日本に於いては、中国から伝来していた思想や哲学、或いは詩文等が重用され、数々の日本古典文学が誕生した。現代でも尚、言葉は平易になりつつも、日本では「会うは別れの始め」と通俗的に言われている。
 健康的な風仙人の描いた大胆な『逢』の草書一文字は、『人生』と云う台紙の上で出会った誰かの元へと何の怖れも無く一途に進んでいく。しかし、風仙人の『逢』を人間の漕ぐ『船』に見立てた阿呆丸は、背後に尾を引く航跡に、乃ち絶えず流れる時空の象徴『川』の水面の揺らぎに、風仙人自身が認識して居ない反語としての『別』の字を見た。進み往く『逢』という名の『船』に付き従いながら無気味に浮んで進む影『別』・・・。
阿呆丸は風仙人の『逢』に『別』を描き添え、意味深く端整に仕上げた。

               書・・・風仙人。背景画、音楽、構成・・・阿呆丸